慶應通信のすゝめ

慶應義塾大学 通信教育課程で学び卒業を目指します

『慶應通信のすゝめ』は、慶應義塾大学 通信教育課程(経済学部)の卒業を目指す社会人のブログです。自分自身の学習計画を整理するために立ち上げました。私と同じようなことでつまずく通信生も世の中にはきっといるはず。少しでもお役に立てればと思います。

カテゴリ:その他 > 文章技術

 福田恆存と言えば、シェイクスピア『ハムレット 』『オセロー 』『マクベス 』『リア王 』やヘミングウェイ『老人と海 』、オスカー・ワイルド『サロメ 』『ドリアン・グレイの肖像 』等の翻訳家として有名です。思想家としても戦後の日本を代表する人物だったと言えます。

 前回のブログ記事「わかりやすい文章を書くには?」に続いて、今回は福田恆存(著)『私の国語教室について書きたいと思います。
金田一京助「現代かなづかい」 vs 福田恆存「歴史仮名遣い」
私の国語教室』のほとんどは現代かなづかい」vs「歴史的仮名遣」の論争(「福田・金田一論争」)についての記述です。一見、国語教室とは関係ないようにも思えます。でも読み進めていくと、日本語をちゃんと理解するためには「歴史的仮名遣い」を学ぶことが重要だと、福田恆存が考えていたことがよく分かります。
 

私の国語教室 (文春文庫)

 説明するまでもないですが、現在の日本人が使用する書き言葉は「現代かなづかい」を元にした「現代仮名遣い」。それに対して、中学や高校の古文の授業で習った昔ながらの書き言葉が「歴史的仮名遣い」です(例えば「當然、慶應通信生は卒業したいと思ふことでせう」のような文です。明治から第二次世界大戦終結直後まで正式な日本語の表記法でした)。

 どうして「現代かなづかい」vs「歴史的仮名遣」の論争が起きたのでしょうか。まずはその経緯から説明させてもらいます。

 第二次世界大戦後の日本において、“覚える漢字の数を減らそう! 日本語をもっと簡単化にしよう!”という日本語改革論者の勢いが強まり、それを良しとした文部省(現在の文部科学省)によって「現代かなづかい」と「当用漢字」(1850字)が制定されるという、いわゆる日本語の“ゆとり”改定が行われました。

 その背景には、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のお墨付き団体によって、“漢字が民主化を遅らせた。カンジ、ダメ、ゼッタイ。ローマ字の方が便利デス”といったような勧告があったり、“現代日本語の発音どおりに日本語表記を変えようぜ”という考えの日本語改革論者が、国語審議会委員の多数派だったことから、一気に「現代かなづかい」を採用する方向に進んでいったようです。

 一千年かけて少しずつ変化してきた「歴史的仮名遣」は、たかだか数年で「現代かなづかい」に取って代わることになりました。

 Wikipediaの「国語国字問題」によると、読売報知(当時の読売新聞)ですら「漢字を廃止せよ」という社説を出していたり、作家・志賀直哉に至っては「日本語を廃止して、世界中で一番美しい言語であるフランス語を採用することにしたらどうか」と提案していました。世の中の流れが日本語を改定する方向に向かっていたのかもしれませんね。

 金田一京助(『明解国語辞典』で有名な方ですが、名前を貸しただけで辞書作りにはほとんど関与していないのだとか。知らなかった)を初めとする日本語改革論者は、現代日本語の発音に合わせた日本語表記の「現代かなづかい」を推しました。また、使用頻度の高い漢字だけを残し、難しい旧漢字を略字体に置き換えた「当用漢字」を選定することで、覚えるべき漢字の数を大幅に減らすべきだと主張しました(ちなみに現在は2010年改定の「常用漢字」2136字です)。

 しかし、それに対して断固反対したのが福田恆存です。「現代かなづかい」の矛盾を徹底的に非難し、「歴史的仮名遣」の方が合理的で論理的に一貫性があると主張しました。

 例えば、
  • 現代日本語の発音に合わせて1字1音を原則として書くのが「現代かなづかい」だと言うのに、「私は」「東京へ」「水を」といったように、そこだけ「歴史仮名遣い」を用いるのはおかしい。「私わ」「東京え」「水お」にしないのはどうしてか?
  • 」が「こうり」ではなく「こおり」で、「お父さん」が「おとおさん」でなく「おとうさん」が正しい理由は? 「大きい」が「おうきい」ではなく「おおきい」で、「王子」が「おおじ」でなく「おうじ」なのはどうしてか?
  • 」と「」、「」と「」のどういった理屈で使い分ければ良いのか……。
 それらは「歴史仮名遣い」の原則を知らなければ説明できないじゃないかと。

 その「歴史的仮名遣」の原則が何かと言えば、「書き言葉は“音”ではなく“語”に従う」ということです。どういうことかと言うと、表記に関して言えば、“音声”よりも“意味”が「主」であり「目的」で、まさに「“意味”を書き記す」ために組み立てられたのが「歴史的仮名遣」ということです。

 一方「現代かなづかい」は、“意味”よりも“音声”の方を「主」として、それに合わせて無理やり書き言葉を変えてしまったため、本来「表記」が果たすべき「“意味”を書き記す」という機能が中途半端になってしまいました。だから、ことあるごとに「歴史的仮名遣」の原則を借りるしかないというわけです。

「歴史的仮名遣」には“音声”と“表記”一致しない例外はあっても、その数はたいして多くないし、「歴史的仮名遣」のルールを覚えるのはそう難しくもない。“意味”を表記する「目的」から見れば、「現代かなづかい」よりも「歴史的仮名遣」の方がはるかに現実的だというのが、福田恆存の意見なのだと思います。
……歴史的かなづかいはこの表音文字といふ現実をそのまま受け入れて、その現実とは別次元に表意という概念をたて、それをめざしているものであります。つまり、最初から現実と概念の二元論上に立っているのです。一方、「現代かなづかい」は表音文字であることを理由に表意性を認めない。すなわち表音という現実以外に別の原理を求めず、現実から帰納しえた原則をもって現実を処理しようとしている、いわば一元論に立つものなのであります。二元論が二元に相渉(あいわた)るのは妥協ではなく、それが初めからの約束ですが、一元論が二元に相渉るのは妥協であり、矛盾であります。のみならず、このジレンマの致命傷は一元論そのものの崩壊になり、その原則自身の無力を裏切り示すことになるのです(「歴史仮名遣い」の原文を「現代仮名遣い」に変換)。
 福田恆存は、すべての言葉は“音”と“意味”が結合したものであって、どちらか一つで成立するものではないと考えました(二元論)。また彼は、「歴史的仮名遣」の原則を絶対に変えるなと言っているわけではなく、「一千年前に基を置いているだけのことで、音韻変化の史的現実に即応して変わってきたものですし、また今後も変わうるものなのです」と書いています。強引に変えてしまうのではなく、必要に応じて「徐々に部分的に改めていくのがいい」と考えていたようです。

 さて論争の結末は、「けっきょく決着しないまま論争は終わった」と「福田・金田一論争」には書いてありますが、しかし、どうでしょう? 『私の国語教室』を最後まで読んだ感想では、理論上は福田恆存の圧勝じゃないかと思いました(金田一京助の書籍を読めば、意見が変わるかもしれませんが)。

 ところがどっこい、現在の日本語は「現代かなづかい」の元となった「現代仮名遣い」が標準の書き言葉として定着し、「歴史的仮名遣」はほとんど使用されなくなりました(国文学を学ぶ人は例外として)。皮肉なことに「現代かなづかい」の完全勝利なわけです。

私の国語教室』は全編「歴史的仮名遣」で書かれた書籍なので、「歴史的仮名遣」に慣れていない私には大変読みづらく、特に旧字体の漢字(例えば「鹽→塩」など)には苦労しました。でも我慢して読んでいるうちに少しは慣れるものですね。

私の国語教室』の「前書き」には、1章と2章、6章だけでもいいから読んでほしいといったことが書いてあります。ちなみに「歴史仮名遣い」講座は3章からになります。

 福田恆存にしてみれば易しく解説したつりもかもしれませんが、一度読んだだけではとても覚えきれません。何となくアウトラインを理解するのでいっぱいいっぱいです。「現代仮名遣い」で書いてあれば、もうちょっと理解しやすいと思うんですけど。ただ、「歴史的仮名遣」を推している以上、それはできないのでしょうね。

 いまさら「歴史的仮名遣」が主流になることはないでしょうが、日本語の深みを知るには「歴史的仮名遣」を改めて勉強し直さなきゃ駄目だと感じました。

 少しずつではありますが、時代のニーズに合わせて「漢字」を見直す動きがあるのも事実です。「当用漢字」の1850字ではさすがに足りなすぎるということで、1981年には「常用漢字」として1945字、2010年の改訂では更に2136字まで増えました。

 1981年より以前は、「」「」「」「」といったよく使用される漢字も「当用漢字」には含まれていませんでした。「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」も入っていなかったわけです。これら以外にも、どうして選ばれなかったのか理解できない漢字が多々あります。

 2010年に改定されて、ようやく「」「」「」「鹿」「」が「常用漢字」となり、「」「」「」「」「」「」「」「」「」も堂々と使用できるようになりました。ジャニーズのファンの強い要望があったかどうかは知りませんが、ようやく「」も「常用漢字」の仲間入りです。

 ちなみに慶應大学の「」は「常用漢字」ではありません。「常用漢字」では「」になります。すべてを挙げたら本当にキリがありません。

 ちょっくら日本語のお勉強でもしようかと思って読んだ『私の国語教室』でしたが、気がつけば何度も読み返すはめになり、どえらく時間がかかりました。慶應通信というテーマからは大幅に脱線してしまいましたが、でもまあそれはそれで良しとして、せっかくなので「古文の参考書」でも買って勉強し直そうかと思います。その後でまた改めて『私の国語教室』を再読してみたいです。

 まとめきれず長文になってしまいました。駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

【参考】
■漢字表一覧 | 青空文庫

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 私は、文章を書くのが昔から苦手です。こうしてブログを書くのも毎度ひと苦労しています(すらすら書ける人が本当に羨ましい!)。でも通信生として入学すれば、卒業するまで山ほど文章を書かなければなりません。だから苦手だなんて言ってられないです。

 レポートや論文の書き方については、以前の記事「『志望理由書』を書き始めるその前に、レポート・論文の書き方を学ぼう!」に軽くまとめさせてもらいました。ただ、そもそも文章がヘタクソでは、レポートどころの話ではないです。

「わかりやすい文章の書き方」について今回は書きます。
中学生からの作文技術/私の国語教室
 参考にさせてもらったのは、“左”のジャーナリスト・本多勝一(著)の『中学生からの作文技術』と、“右”の論客・福田恆存(著)の『私の国語教室』です。
 


 彼らの“右左”の思想はさておき、書籍の内容はどちらも素晴らしいです。すぐにでも役に立つのは本多勝一氏の書籍でしょう。文学部の方であれば、翻訳家・思想家としても名高い福田恆存(1912 - 1994)氏の書籍も読んでおいた方が良いと思います。

 今回は『中学生からの作文技術』からご紹介します。この書籍はロングセラー『日本語の作文技術』『実戦・日本語の作文技術』を中学生向けに再編したいいとこ取りの入門書です。中学生だけに読ませるなんて実にもったいない。文章を書くのが苦手な大人にこそタメになる本です。

中学生からの作文技術』は、読む側にとってわかりやすい文章を書くための技術を解説しています。各章の最後には文章技術を「おさらい」としてまとめてくれていますが、更にそこから5つの最重要事項を抜き出しました。


【わかりやすい文章のルール】
  1. 「かかる言葉」と「受ける言葉」は近いほどわかりやすい。
  2. 「節」を先にして、「句」をあとにする。※1
  3. 同じ「節」(または「句」)では、長い方を先にする。※2 ※3
  4. 長い「かかる言葉」が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。
  5. 語順が逆順の場合にテンをうつ。
 ※1 節:1個以上の述語を含む複文。句:述語を含まない文節。
 ※2 長さが同じくらいのときは、大きな内容の方を先にする。
 ※3 「長さ」も「大きさ」も同じときは、前後の言葉のなじみ具合で配置を考える。


「かかる言葉」は長い順に並べよう!

「かかる言葉」「受ける言葉」について説明すると、
花が咲いた。
という単純な文章で見れば、「花が」は「咲いた」にかかる言葉で、「咲いた」は「花が」を受ける言葉になります。つまり「花が」が「かかる言葉」で、「咲いた」が「受ける言葉」ということです(一般的な用語で言えば、「主語→述語」や「修飾→被修飾」の関係に当たります)。

「花が(かかる言葉)」→「咲いた(受ける言葉)」

 それが分かれば、あとは簡単。「かかる言葉」と「受ける言葉」をできるだけ近づけ、「かかる言葉」が文の中に複数ある場合は長い方から順番に並べれば良いということです。それだけで文章が分かりやすくなります。

 例えば、次の言葉をどう並べれば読みやすいかを考えた場合、
【かかる言葉】
  • 私がふるえるほど大嫌いなBを
  • 私の親友のCに
  • Aが

【受ける言葉】
  • 紹介した
 下記の6パターンが考えられますが、
①Aが/私がふるえるほど大嫌いなBを/私の親友のCに/紹介した。
②Aが/私の親友のCに/私がふるえるほど大嫌いなBを/紹介した。
③私がふるえるほど大嫌いなBを/Aが/私の親友のCに/紹介した。
④私がふるえるほど大嫌いなBを/私の親友のCに/Aが/紹介した。
⑤私の親友のCに/Aが/私がふるえるほど大嫌いなBを/紹介した。
⑥私の親友のCに/私がふるえるほど大嫌いなBを/Aが/紹介した。
 上記のルールに当てはめて考えれば、「かかる言葉」を長い順に並べればいいので、④が一番分かりやすい文章ということになります。こんな単純なルールで文章が分かりやすくなるんですね。驚きです。

中学生からの作文技術』には、「かかる言葉の順序」や「テンやマルのうちかた」について以外にも、漢字の使いかた、助詞の使いかた、どこで改行するか、文章のリズムなどについて書いてあります。中学生向けということもあり、けっして難しくはないので、私のような文章を書くのが苦手な方にはおすすめです。

 今回の記事に関しては、『中学生からの作文技術』を参考に、できるだけ文章に気を配ったつもりですが、まだまだ至らないところもあるでしょう。徐々に上手くなれればと思います。

 長くなってしまったので今回はこの辺にして、福田恆存(著)『私の国語教室』については次回の記事「日本語の“ゆとり”改定」で書きたいと思います。


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 入学の合否を左右するであろう「志望理由書」。大学側はどんなところを見ているのでしょう? おそらくレポートや論文をちゃんと書けるかどうかの文章力を見ているのではないかと思います(「大学で学びたい!」という情熱も大事でしょうけど、入学を希望するからにはそれはあって当然ですから)。そもそも文章が書けないようでは通信大学生として続けていけません。「志望理由書」を書き始める前に、論文・レポートの書き方について基本を学ぶ必要がありそうです。

 そこで参考にした書籍は『レポート・論文の書き方入門』 河野哲也 著(慶應義塾大学出版会)です。分かりやすい入門書で、通信大学でレポートを作成するときに役立つと思いました。ざっと数時間で通読できるレベルです。
 

 内容をざっくりまとめると、レポートや論文には「問い」と「答え」の2つが必須で(そこが感想文や作文との違い)、「序論(問い)」→「本論」→「結論(答え)」という構成で書かなければならないということです。

 レポートや論文における本文構成の概要は下記になります。

【本文】
●序論(5〜10%)
  (1)テーマ(主題)の導入
  (2)問題の提示
  (3)方法の提示
  (4)本文展開の予告 ※短い小論文やレポートでは省略可

●本論(80%〜)
 ◯章と節(番号と見出し[題]をつける)(「並列」と「進展」)
 ◯文段(段落)の論理的な結合
 ◯説得力のある論述(論理的推論 + 実証)
  (a) 実験・観測(観察)・アンケート調査・インタヴューなどによる実証的な証拠(いわゆる事実)
  (b) 証言、または信頼できる専門家の意見
  (c) 一般に確認された見解、すでに証明された主張、あるいは、いわゆる社会的通念、常識
 ◯言明の帰属元・出所の明示

●結論(10%)
 (1)要約 ※短い小論文やレポートでは省略可
 (2)結論
 (3)論議:提出した自己の議論・結論の意義を客観的・第三者的に評価する


 上記のようなレポート/論文形式で「志望理由書」を書き始めたいと思います。


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